ある阿呆の一生

60代で闘病中。ギターに文学、仕事に酒、自分の阿呆みたいな人生を振り返りたいと思います。「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。」正岡子規

人生回顧録#1~恋愛

おれは恋愛らしい恋愛をしたことがない。心残りといえばそれだけだ。

もちろん恋愛感情は何度も持ったことがあるし、自分で言うのもなんだが決してモテないほうではなく、むしろ逆だろう。しかし、まともに異性と付き合ったことがほとんどない。

中高生の頃に好きだった子はいなかった。好きになられたことは何度かあって、中でも一人とてもいい子がいたから付き合っておけばよかったと後悔(笑)。

大学時代は恋愛とは無縁。好きな子がいたが、美人で頭がよく人気抜群だったし、おれはあまり大学にいかず、バンド活動や音楽や小説に明け暮れてたからアプローチすることなく4年が過ぎた。

社会人になって大阪の支店に配属になり、そこで同期(4年年下だけど)の子を好きになった。1年半後に転勤で東京に行くことになり、そのときに向こうもこちらを想っていてくれたことがわかったのだがとき既に遅し。貴重な相思相愛だったのに機会を逸してしまった。東京に転勤になってから一度上京しておれに連絡をくれたのだが、既に24時間営業みたいに忙しかったから電話に出られずすれ違ってしまった。手紙もくれたのになぜか返事を出さなかった。遠距離でも付き合っておけばよかったとこれもまた後悔(笑)。ほんといい子だったんだよね。

東京の職場で15年リーマンをやったのだが、その間に好きな子もいた。しかしなぜだろう。当時のおれは、職場での恋愛は絶対にしないと決めていたのだ。また、別途書くことになるだろうが、昼夜問わない仕事漬けの状態だったし、たまに自分の時間ができるとそれを恋愛に回すのではなく、ゲームや音楽制作などの孤独な趣味にまわしていた。それでも一度だけ告白をしてつきあって飯食ったり映画を観たりしたことがある。たぶんそれがおれの唯一の恋愛行動だと思う。それも半年もたなかった。おれから別れを告げた。恨まれた。そりゃそうだろう。こっちからコクってその気にさせたのにいきなりさよなら言われたら怒るわな。なぜそんなことをしたのかいまだにわからない。ただこれだけは言っておく。プラトニックラブで傷ひとつつけちゃいない。

またこんなおれを好きになってくれた子もいた。気持ちをわかってはいたがおれはわからないふりをした。その子もいい子だったのにね。「仕事ばっかり!」とか怒られた覚えがある。そんなつもりはないのだが、どうも恋愛に本気になれなかったのだ。ちなみにみな結婚して幸せな家庭を築いてる。おれでなくて良かったやん、と心から思うぜ。

さて脱サラした後も似たようなものだ。次の仕事につなげるために翻訳学校に通ったのだが、そこで知り合った子といつのまにかつきあうようになった。何度もデートして飯食ったり飲みに行ったり。一度はおれの部屋にまで上げたことさえある。しかしおれは手を出さなかった。いつのまにか自然消滅していったね。これまたよくわからない、向こうはそこまでつきあってるんだし、いい年なんだから結婚?くらい考えてたのかもしれないのに、おれはなんでつきあってたんだろう。それほど「好き」という感情は湧いてなかったのになぜつきあったのか、不思議だ。

一人で酒場を巡るのが大好きだから脱サラしてからは、神楽坂や横浜の酒場の常連になって、そこでも好きな子ができたのだが、やはり付き合う気になれずそのままとなった。15年前に大阪に帰郷してからは色気なし。

結局、風俗とかはさておくとして、まともな恋愛で肌と肌をあわせ、ぬくもりを感じたことは一度もなくきてしまった。誰かに心底の愛で抱かれたことがない。だから寒いのだろうか。ここ数年は、夏でも寒く感じる。まあ過ぎたことは仕方がない。これもまた人生だ。