ある阿呆の一生

60代で闘病中。ギターに文学、仕事に酒、自分の阿呆みたいな人生を振り返りたいと思います。「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。」正岡子規

読書回顧録#1 江戸川乱歩との出会い

小学生のころは公団の団地に住んでいた。

まだエアコンがなくても扇風機だけで夏をしのげる時代だ。父がタクシーの運転手から大手ゼネコンの管理書まで駆け上った仕事人間だったおかげでそこそこ贅沢に暮らしており、カラーテレビもあったし熱帯魚などもあった。そして本好きだった父は、小学生のおれに毎月を本を買ってきてくれた。

それが江戸川乱歩(ジュニア版)である。

毎月発売されていたのだろう、必ず買ってきてくれた。おれは待ち遠しくてむさぼるように読んだ記憶がある。友達もいたし社交的だったし決して孤独ではなかったのだが、両親は共働きで学校から変えると家で一人だったので本を読むことが多かった。そのひとつが江戸川乱歩なわけだが、他にもシートン動物記やら偉人伝やら定番と思われる本と出会っている。中学生になると小遣いで文庫本を自分で買うようになり、筒井康隆小松左京平井和正などのいわゆる日本SF黄金時代の本にはまるのだがそれはまた別に書くとして、おれと江戸川乱歩の出会いはこのポプラ社の本であり、父が買ってくれていたという事実、それを書き留めておきたい。乱歩はもちろん高校生になってからジュニア版でなく本物の小説(全集)を揃えて読むことになるが、この出会いがなければきっと読んでなかっただろうし、EAポーを読むことも無かったと思うからだ。

そして何より、父が本を買って与えてくれた、という事実。スマホ全盛の今はどうか知らないが、親は子供に本をプレゼントしたりしてるのだろうか。学校の勉強も大事だけど、読書はもっと大事だとおれは思う。読書は楽しい、そう思わせるには、子どもの頃に面白い本をプレゼントする、コレしかない気がするんだが、今子供にプレゼントするならどんな本がいいんだろう。そのあたりはさっぱりわからないが。

 

人生回顧録#1~恋愛

おれは恋愛らしい恋愛をしたことがない。心残りといえばそれだけだ。

もちろん恋愛感情は何度も持ったことがあるし、自分で言うのもなんだが決してモテないほうではなく、むしろ逆だろう。しかし、まともに異性と付き合ったことがほとんどない。

中高生の頃に好きだった子はいなかった。好きになられたことは何度かあって、中でも一人とてもいい子がいたから付き合っておけばよかったと後悔(笑)。

大学時代は恋愛とは無縁。好きな子がいたが、美人で頭がよく人気抜群だったし、おれはあまり大学にいかず、バンド活動や音楽や小説に明け暮れてたからアプローチすることなく4年が過ぎた。

社会人になって大阪の支店に配属になり、そこで同期(4年年下だけど)の子を好きになった。1年半後に転勤で東京に行くことになり、そのときに向こうもこちらを想っていてくれたことがわかったのだがとき既に遅し。貴重な相思相愛だったのに機会を逸してしまった。東京に転勤になってから一度上京しておれに連絡をくれたのだが、既に24時間営業みたいに忙しかったから電話に出られずすれ違ってしまった。手紙もくれたのになぜか返事を出さなかった。遠距離でも付き合っておけばよかったとこれもまた後悔(笑)。ほんといい子だったんだよね。

東京の職場で15年リーマンをやったのだが、その間に好きな子もいた。しかしなぜだろう。当時のおれは、職場での恋愛は絶対にしないと決めていたのだ。また、別途書くことになるだろうが、昼夜問わない仕事漬けの状態だったし、たまに自分の時間ができるとそれを恋愛に回すのではなく、ゲームや音楽制作などの孤独な趣味にまわしていた。それでも一度だけ告白をしてつきあって飯食ったり映画を観たりしたことがある。たぶんそれがおれの唯一の恋愛行動だと思う。それも半年もたなかった。おれから別れを告げた。恨まれた。そりゃそうだろう。こっちからコクってその気にさせたのにいきなりさよなら言われたら怒るわな。なぜそんなことをしたのかいまだにわからない。ただこれだけは言っておく。プラトニックラブで傷ひとつつけちゃいない。

またこんなおれを好きになってくれた子もいた。気持ちをわかってはいたがおれはわからないふりをした。その子もいい子だったのにね。「仕事ばっかり!」とか怒られた覚えがある。そんなつもりはないのだが、どうも恋愛に本気になれなかったのだ。ちなみにみな結婚して幸せな家庭を築いてる。おれでなくて良かったやん、と心から思うぜ。

さて脱サラした後も似たようなものだ。次の仕事につなげるために翻訳学校に通ったのだが、そこで知り合った子といつのまにかつきあうようになった。何度もデートして飯食ったり飲みに行ったり。一度はおれの部屋にまで上げたことさえある。しかしおれは手を出さなかった。いつのまにか自然消滅していったね。これまたよくわからない、向こうはそこまでつきあってるんだし、いい年なんだから結婚?くらい考えてたのかもしれないのに、おれはなんでつきあってたんだろう。それほど「好き」という感情は湧いてなかったのになぜつきあったのか、不思議だ。

一人で酒場を巡るのが大好きだから脱サラしてからは、神楽坂や横浜の酒場の常連になって、そこでも好きな子ができたのだが、やはり付き合う気になれずそのままとなった。15年前に大阪に帰郷してからは色気なし。

結局、風俗とかはさておくとして、まともな恋愛で肌と肌をあわせ、ぬくもりを感じたことは一度もなくきてしまった。誰かに心底の愛で抱かれたことがない。だから寒いのだろうか。ここ数年は、夏でも寒く感じる。まあ過ぎたことは仕方がない。これもまた人生だ。

乗り物回顧録#1 CB400SF

1996年頃に中型免許をとった。まだ脱サラ前の忙しい時代なのに、職場の仲間と意気投合して休日に教習所に通い競争するように免許をとった。そして速攻でバイクを買った。きっかけがなんだったのか覚えてない。車すら1985年ごろにハチロクレビン買って数年乗ったきりで離れていたのになんでバイクが盛り上がったんだろ?ブームだった?笑

まあそれはいいとして一人はカワサキZZR400を買った。もう一人はCB400SFバージョンSを買った。そしておれは、教習車でさんざん乗ったCB400SFを買った。色は赤と決めていた。

こいつにはマジではまった。

土日は朝4時に起きて、5時に出立し箱根をツーリングして昼前に帰宅するというパターン、これだと渋滞に巻き込まれないのでラクなのだ。八王子のワインディングも行ったし、水戸その他関東のあちこちにソロ、あるいは友人と出かけた。ホンダのライディングスクールにも行って、あれでものすごく乗り方が上達したのを覚えてる。教習所でなんで教えないの?と思うようなレベルだ。

 

そして北海道を一週間かけてソロで横断した。羽田から千歳空港までシスティーナ(こいつの名前)を運び、各地で小さな宿をとりながら釧路まで。北海道に高速道路なんているの?と思うくらい快適でワインディングが楽しかったし景色も美しかった。季節は6月だったのでまだ寒かったし、雨の日もあったから結構タフだったけどいい思い出だ。何よりバイク乗りにみな優しかった。すれ違うときの片手のサイン(今もあるんだろうか)、道に迷ったときは大型にのったお姉さんが詳しく教えてくれた。当時はスマホもナビも無かったから地図だけが頼りだったね。一見怖そうなトラックの運ちゃんのたまり場におそるおそる入ったら「かっこええ、バイクだね!」「気を付けていけよ」と励ましの言葉を頂いた。優しい!

八王子のワインディングでレーサーレプリカブイブイ言わす軍団に出くわしたときも、遅いおれをばかにするような素振りはいっさいなく、お先にと挨拶して抜き去っていったな。みなマナーが良かったのは運が良かったせいか?今は知らない。

とにかくいい思い出だ。

このあと、腰を痛めていったんバイクを降り、またゼルビスやスカブーなどでプチ復活するけど、本格的にバイクを楽しんだのはシスティーナとともに過ごした5年ほどだったと思う。

今はどうなんだろ?バイク売れてんのかな?おれも大型とってBMWボクサーツインとかに乗りたかったんだけど、体を壊して夢破れちゃったが、最近はあまりバイカーみかけないような。。

 

ゲーム回顧録#1-波動の標的

初めて購入したパソコンはPC88Mk2SRだ。何のために?そりゃ決まってる。ゲームをやるためだ。社会人になり寮生活を始めた頃で給料もまだ安かったから20万近くしたパソコンを買うのは勇気がいったが今では名機と呼ばれている。

PC98に乗り換えたのも割と早かった。

確か初めてプレイしたゲームはブラックオニキスで、RPGもやりまくったがその後日本が誇るミステリアドベンチャーにはまったのだ。道化師殺人事件とか殺人倶楽部とかオホーツクに消ゆとか。。特に殺人倶楽部はよくできてたね。

そんな中で出会ったのが波動の標的だ。これには衝撃を受けたな。以降スタジオWINGはお気に入りのメーカーになった。音楽が素晴らしいし、難易度もかなり高いが、ストリーも実に面白い。EGGで今でもプレイできるから興味があるひとはとうぞ!

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